向き不向き
五月も今日で終わり。こもっているのはいつもと変わりないけど、日々の生活が光速で過ぎていく感じ。
アルバム制作は、作ったものを壊し新たにアレンジをイチからやり直したり、まるで陶芸家のような状況になってきた。これだけ時間をかけられるのは初めてのことだから、とにかく根気よく前に進めるつもりだ。
レコーディングは7月19日、新宿のSubmarine Studioに決まった。7月中には原稿書いたりして僕の手から離れるといいと思ってる。
そういえばアルバムタイトルもまだ決まってないw
以前から感じていることが一つある。
僕の娘と息子はともに大学までバスケットボールをやっていて、まあ、よく続いたと思う。それはなぜかと時々考える。
小さい頃から、ある、無しがよく言われることの一つに、運動神経がある。走るのをちょっと見ただけでもなんとなくわかっちゃうようなそんな類のものだ。でも運動神経があるからなんのスポーツもうまくこなすのかといったらそういうことはない。ボールを扱うのが得意な選手も走るのが苦手だったり、柔道のような肌を密着させるスポーツが苦手な選手、団体競技が苦手な選手などなど。だから運動神経がある、スポーツが好きだ、という子の次のステップはなんのスポーツが向いているのか、好きなのかを見極めることだ。運動神経があって、スポーツが好きで、なおかつ自分にぴったりの競技に出会えればそれは素晴らしいことだと思う。
このことは音楽にも当てはまる。
音楽の才能があると普通はピアノから始めることが多いと思うが、実はなんの楽器がその人に合ってるかを見極めるのは非常に難しい。管楽器なのか打楽器なのか、日本の伝統芸能なのか、ギターなのか三味線なのか、などなど。まして小さい頃は親の誘導や周囲の環境で決まっていくので、なかなか自分の好きな楽器にたどり着かないことが多いような気がする。自分の好きな楽器が見つかればそれはとても幸せなことだ。
作曲だってアカデミックな教育を受ければ、当然西洋音楽を中心に学ぶわけで、クラシックの作曲方法から現代音楽につながるアプローチが一般的だ。
でもよくよく考えれば、実はJポップが得意な人もいればロックやジャズ、演歌なら任せろという人もいるだろう。
そして自分が大好きな、得意な世界がわかった人は幸せな人だと思う。何より努力することを努力とは思ってないし、たとえ苦しいことも楽しみに変えたりできるわけで、日々作曲をしていく積み重ねの継続力もしっかりあるわけだ。僕に言わせれば、努力する人は、好きでやっている人に勝てないし追いつけない。なぜなら、努力は「チカラ」を必要とするが、好きでやってる人はもっと柔軟に前に進むからね。
そういう意味で僕も作曲に、ロックな音楽と日々関われるのは幸せなことだなぁと思っている。
随分と遠回りはしたけど、近頃の人生は長そうだから、まだ遅くはないよねw