無音のコンサート

7月14日に♬Time Goes Byの弦カル、 MalinちゃんのVocal、Kazumeのインディアンフルートの録音をサブマリンスタジオで行った。やはり生の楽器や声の熱量はすごいもので、とても気持ちのいいレコーディングだった。僕にとっては大学で書いて以来の弦カル、結構ドキドキしたわけで、それでもDAWで一度鳴らしてるからまぁその延長線上のサウンドを想像してたんだけど、そのイメージをはるかに超えた豊かな響きと存在感は本当にいい経験になった。続く20日にはMalinちゃん、Kazume、僕とエアプレーンのスタジオでエンジニアの安宅さんとRecしたテイクのチェック、部分で別のテイクをもってくるなどの作業、30日には残り2曲の歌をうちのスタジオで収録した。これで笛のリテイクを2曲Recすれば、ようやくミックス作業に入り9月の頭にマスタリングの運びになる予定。今回はコロナの影響で発売が延期、結果、1年ほどかけて曲作りを行ったので、一度完成したものをボツにしたり、作り変える作業も多々あった。さすがにそろそろ羽をつけて飛ばさないと、次のステップに行けないもんね。

ようやく梅雨の開けた8月1日、「川島素晴plays...vol.2”無音”」 と銘打った現代音楽の作曲家、川島さんのリサイタルに行ってきた。川島さんは2018年に新宿のギャラリーPlace Mで写真家のUma Kinoshitaさんと開催した「大地の記憶 風の祈り」展に来てくれたのだが、お会いする時間がなく、その後何度かお誘いを受けた彼のコンサートも都合がつかなくて、ようやく今回に至ったというわけ。

でもってそのリサイタル、”無音”と書かれてある通り、文字どおり無音のコンサートなのだ。無音といえば、John Cage の4'33"が有名だけど、今回の構成はそのCage以前の無音の音楽、2部はそれ以降、現在に至る無音の音楽、最後に川島さんの作品、「Exhibition 2020」で締めくくるという、かなりとんがった構成になっている。旧東京音楽学校奏楽堂はコロナ対策もあってドアは開けっ放し、梅雨明けとともに一斉に鳴き出した蝉の声が漏れ聞こえてくる。

無音といってもその表現は様々で、楽器を持った演奏者が、演奏するふりをするアルフォンス・AREの偉大な聴覚障害者の葬儀のための葬送行進曲、またラ・モンテ・ヤングのComposition 1960#6では、舞台に出てきた川島さんが舞台から本人が観客となって会場を見る、という作品。一般的にはパフォーマンスと呼んだ方がわかりやすい。
最後に演奏?した川島さんのExhibition 2020は彼を含めた8人の演奏者が舞台上でストップモーションになる、そのストップモーションのテーマが10、「葬送」「人体測定」「ソシャルディスタンス」などなど、彼曰く、「時間概念を取り払い、美術作品の鑑賞と同じような感受の仕方をして頂きたい」といった作品である。彼にとっては演奏家の身体がそこに存在するということで、充分「音楽作品」なのだそうだ。

リサイタルを通して聴いている、いや、見ていると、川島素晴の肝の座った挑発行為が透けて見えてくる。
そこはなかなか楽しめたんだけど、そこまでして「音楽」にこだわるのもなぜなんだろうと不思議な気がした。確かに音楽の枠組みを広げることを実験を通してやることは、それはそれでいいんだけどね。
もし何も知らないで2000円を払ってこのリサイタルを聴きにきた人がいたら、怒り爆発があってもおかしくない内容で、おそらく1960年代だったら怒号飛び交うエキサイティングな会場になっていたかもしれない。
でも今の聴衆はとてもいい人たちなので、川島素晴の挑発行為に暖かい満場の拍手を送るのだ。
その瞬間、彼の挑発行為はどこかに消え去り、完結した作品となってしまうという、なんかちょっと悲しい感覚を味わってしまった。
実験的な作品は聴衆ももっととんがってた方が面白いんだけどね。
リサイタル終了後、梅雨明けの上野公園を歩いていると、今年初めて耳にするヒグラシが鳴いていた。

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