驚きもものき20世紀

かってテレビ朝日系列(大阪朝日放送制作)の番組で「驚きもものき20世紀」という番組があった。1993年4月から始まった番組でテーマは「20世紀もうひとつの物語」だった。なかなかユニークな番組だった。そのプロデューサーの岡野均さんは1999年の2月、この世を去った。
 先日逝去20年ということで驚きもものきのディレクターが20人くらい集まって岡野さんを偲んだ。番組は結構な数の制作会社が入っていたから、その壁をこえてディレクターが集まってくるのはとても稀有なこと、岡野さんの人柄とその夢のような時代の同じ釜の飯を食べたものの共有感で今もつながっている。
 僕は正確には数えてないけど、おそらく311本のうちの8割くらいを担当したと思う。1993年に岡野さんがひとりぶらっとうちのスタジオ(当時は赤坂のシナリオ会館の2階にあった)にやってきて、この番組の音効をレギュラーでやってくれないかと、頼みに来てくれたのだ。でもたくさんの制作会社がはいってのレギュラーは精神的にも大変そうなのでやんわりと断らせていただいた。その後岡野さんは演出家にぼくを毎度推薦してくれたみたいで、結果ほとんどの回を担当することになった。
 驚きもものきでぼくがやろうと思ったのは、(普通、登場してくる主人公にひとつのテーマ曲を選ぶことはあってもそれ以上というのは見たことがなく)主人公に複数のテーマ、たとえば孤独、怒り、愛、とか個別のテーマを設定して、主人公の人となりをあぶりだせないかと思ったわけ。うまくいったこともあれば、行かなかったこともあったけど、岡野さんは全幅の信頼をおいてくれていて、担当した回で音楽を変更したことは記憶のの中ではないな。いつもテーマを何にするか、JAZZやクラシックやロック、様々な音楽を改めて聞き込んで考えを巡らせていた。
 亡くなって20年である。ディレクターを引退し別の職業を選んだ人、現場からはなれデスクワークしてる人、なんとか食いつないでる人、この世を去った人、それは様々で、この職業を最後まで継続することの難しさを強く感じた。
それでも集まれば同じ釜の飯を食ったものたち、一瞬であの時代に戻ることができた。
継続のなかで培った財産は途轍もなく大きかった。

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